1856年アメリカ合衆国大統領選挙(1856ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election of 1856)は、
奴隷制の問題を巡ってそれまでになく加熱した選挙であった。
共和党が奴隷勢力に対して改革に立ち上がり、
民主党は、共和党が過激主義者であって、共和党に政権を渡せば内乱を招くと警告した。新しく出来て間もない共和党は
カンザス・ネブラスカ法と奴隷制の拡張を非難し、民主党は奴隷制の拡張については自由競争寄りの提案をして、それは州ごとに決められるべきという公式の立場を採った。3番目の政党として比較的新しい
ノウ・ナッシングは、反移民政策の立場を採り、奴隷制問題を無視し、一般投票の4分の1近くを獲得した。
フレモントは奴隷州からも600票足らずを得た。すべて
デラウェア州と
メリーランド州からの票であった。しかし、選挙人団投票の結果から見ると、次の
1860年の選挙の時に、あと2つの州、例えばペンシルベニア州と
イリノイ州を獲得すれば共和党は勝つことが出来ると思わせる結果だった。