ジャクソン流民主主義(ジャクソンりゅうみんしゅしゅぎ、英:Jacksonian democracy、
ジャクソニアン・デモクラシー)とは、
アメリカ合衆国の
大統領アンドリュー・ジャクソンとその支持者の政治哲学のことである。ジャクソンの政策は
トーマス・ジェファーソンの足跡を辿っていった。当時のジャクソンの
民主党は
ホイッグ党がライバルであった。ジャクソン流民主主義をもっと大胆に定義すれば、ジャクソンの哲学が優勢であり、時代の精神でもあった、
1824年から
1854年の
第二政党制時代ということもできる。それ以前の政治で支配的であった
ジェファーソン流民主主義の性格とも常に対比される。ジャクソン流民主主義の時代は、それまで
選挙権は土地所有者に限られていたものが、あらゆる成人の白人男性市民に拡がり、「普通の人」に対する見方とその力が著しく上がった時代であった。
ジャクソン流民主主義をジェファーソンの時代と比べると、
アメリカ合衆国議会に対して
行政府と大統領の力が強くなり、また政府に対して大衆の関与を広く求めるようになった。ジャクソン支持者は資産階級よりもあらゆる白人男性に参政権を与えることを信奉し、政治家がその支持者を管理ポストに就けることを可能にする後援会制度を支持していた。そうすることで、特権階級の力を弱め、貴族政治の擡頭を阻止できるとしていた。指名ではなく選出された判事を要求し、その価値観を反映させるために州憲法の改定を要求した。国全体を見れば、
マニフェスト・デスティニー(明らかな使命)という言葉で領土の拡張を正当化し推進した。ジャクソン支持者(民主党)とホイッグ党の間では、
奴隷制についての論争を避けるという暗黙の合意があった。ジャクソン流民主主義の時代は、ジャクソンが大統領に選ばれた
1828年から奴隷制の問題が大きく取り上げられた
1850年以降まで続いたということもでき、その後は
南北戦争がアメリカの政治を作り直して、
第三政党制時代となった。