エジプト第15王朝(
紀元前1663年頃 -
紀元前1555年頃)は
第2中間期時代の
古代エジプト王朝。いわゆる
ヒクソス(ヘカ・カスウト「異国の支配者達」の意)と呼ばれる異民族によって立てられた王朝である。通常「ヒクソス」、「ヒクソス政権」などといった場合には第15王朝を指すが、第15王朝を「大ヒクソス」、
第16王朝を「小ヒクソス」というように呼ぶ場合もある。この王朝に対する後世のエジプト人の記録は敵意に満ちており、圧制を敷いてエジプト人を苦しめたとされているが、考古学的な調査はこのエジプト人の記録が酷く誇張されたものであることを明らかにしている。少なくとも第15王朝の支配領域に居住したエジプト人達が「異民族支配」を強く意識したのかどうかはかなり疑わしい。ヒクソスと呼ばれた人々は建物の建築様式やいくつかの新しい兵器を導入した事などを除けば、エジプトの伝統的な文化をほとんど引き継いでいたからである。第15王朝はやがて異民族の追放を掲げた
テーベ(古代エジプト語:ネウト 現在の
ルクソール)の政権(
第17、
第18王朝)によって放逐された。