ネウストリア (
Neustria)(ノイストリアとも)または
ネウストラシア (
Neustrasia)は、511年に始まった
フランク王国において新たな(西の)土地を意味する地域(neuは新しいを意味する)。
アキテーヌから
イギリス海峡までを指し、現在の
フランス北部のおよそ全体、都市は
パリと
ソワソンを含む。従ってネウストリアは、
フランク人王国の西部を形成した。6世紀から8世紀には
メロヴィング朝支配下にあった。この区別された一帯は、511年の
クロヴィス1世の死後に彼の息子たちの間で領土分割が行われたことで生まれた。後に、
セーヌ川と
ロワール川の間の地域が
レグヌム・ネウストリアエ(
regnum Neustriae)として知られる地域となった。これは
カロリング朝、
西フランク王国の分王国として継続した。カロリング朝の王たちは、
ブルトン人と
ヴァイキングに対する辺境公(Duchy)である、ネウストリア辺境侯領も創設した。この侯領は、
カペー朝時代の10世紀末まで続いた。